ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

美の談

紅蓮の氷

紅蓮とか、大紅蓮とか言われる世界があります。 仏教によく出てきますよね。 地獄を表現する時に使われる言葉です。 知らない人は、紅蓮の炎なんて言ってたりします。 火にあぶられるような地獄、ってことでしょうか。 僕も、ずっとそう思っていたものです。…

山の景色

32歳のころ、僕は山にいた。そこは宮城県の北の方、県北と言われる。 といっても地図で見ると真ん中くらいに位置しています。そこで、風景画を描いたんでした。こういうのは抽象画といわれます。抽象画といいますと、

自分世界発見

クレーは「世界観などというものは自ずから生まれ出てくるのだ。その世界観が決定的にどの方向をとるか、それはただ自分の意志によって決まるのではなく、すでに母親の胎内にいる時からいくらか運命づけられている、と私は思う」と。 自分の作品の世界観の端…

影響

マルセル・デュシャンは「画家として私は、他の画家よりは作家の影響を受ける方が良いと思った」と。 僕も賛成。絵の技術的な部分を学ぶ過程では多くの画家から影響を受けるものだ。 しかし、精神的な部分においては作家から影響を受け表現に生かせたら、と…

方向性

バルテュスは「私は、自分を表現しようとしているのではなく、世界を表現しようとしているのです」と。 作品には何かしらの方向性があれば良いのだと思う。 自分を世界とする表現の方向、何かしらの世界を垣間見た表現の方向など。何に関心があるのか?何に…

対話の道具

モーリス・ドニは「絵画が軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、本質的にある秩序で集められた、色彩で覆われた平坦な表面であることを思い起こすべきである」と。僕もある秩序で集められた、色彩で覆われた平坦な表面である、という地点から出発したい。 …

色の調和

色彩の調和は世界の調和である。 主観的に調和させるのは簡単だけど、客観的な視点に立って調和させるのは難しいな、と思う。 主観的というのは自己中心的ということだ。 客観的というのは自分の働きと周囲の反応を加味して考える、ということだ。 主観的調…

パウラ・モーダーゾーン・ベッカーの絵

独自に単純化された絵を描く画家、パウラ・モーダーゾーン・ベッカー。 彼女の絵は漫画のようだ。 オリジナルは油絵なのだけれど、鉛筆で模写してみた。 素朴で素晴らしいな、と思う。 彼女自身に内在する思想をきっちりと自覚しているかのような表現。 西洋…

発展模写

ある日、日本人なら誰でも知っているだろう写真を見て描いたと思われる絵が某ブログにアップされていた。 人の描いた絵というのは、自分が描く感覚と相対化させて捉えると面白くて、その人の線の引き具合や形の描き方にその人の性格というものが見えてくるも…

空間の広さ

書は大好きで子供の頃からやっています。 私はアウトサイダー的な方でどこの書道グループにも属していない。 現在は独自に歩んでおります。というのも、誰かに教わるのが苦手だからです。 もちろん、小学生のころは近所の書道教室に通っていました。 しかし…

表現の模索

風景や景色、自然、街やニュース、歴史などといったものは不特定多数の人の間の共通して存在するものだ。画家は、それに自分の感覚を載せたものを描いて「表現」とする。それは風景画、花の絵などが典型で、昔なら歴史画もある。書もそうだ。 宗教画もあるが…

芸術の側面

一つには、普通の日常では、おそらく絶対やらない行動、動作、動きをした瞬間に芸術が宿る、と思う。 それを何度も何度も、繰り返しても飽きることが無く、その都度新しい感動を体感できるものこそ芸術なのだ。 行動する中にこそ芸術が居る。芸術は自分自身…

頭を締めつける

俳句と散文とは何が違うのだろう?俳句にはふりがなが振られていないことが多い。 散文にだって難しい字にはふりがながあるものだ。 何故かな。 俳句を読むくらいの人なら読めない文字が無いとでも思っているのだろうか? 俳句にはふりがなをするべきだ。 ふ…

感動して

師走ですねー。師走じゃないよ、まだ2月ですから。 私はあまり忙しくは無いけれど。多くの人はきっと、忙しいのかもしれない。来年も、仕事しまくろう。そう決意しなくとも絶え間なく仕事はしてるんです。でもお金にすることができません。作品をお金にする…

十七文字世界

ああ、俳句をつくれるようになりたいな。俳句をつくるには 何がいるんだろう?私は何も知らないのだ。 なんでも、そうだろうけれどある日突然、出来なかったことが出来るようになる、なんてことは人間にはありえない。 私が思うに絵描きになろうと思ったら、…

色を感じる

赤と言っても、いろいろな赤があるし、緑もいろいろな緑がある。鮮やかな色だけでは、鮮やかには見えないものだ。 鮮やかな色の隣には必ずくすんだ色がある。 自然て凄いよな、と思う。ただ陽が差すだけでそうなる。 画家もだた、色を塗る。 けれど闇雲に塗…

初心者俳句観

俳句はノートパソコンのようだ、と思う。常に時代の最新技術が投入されていないと魅力が無い。それは、可能な限り高性能で、出来る限り小型化された部品が使われる。小さくすること、凝縮すること。そうするために目もくらむような長い時間の格闘がある。多…

輪郭

私は輪郭をとても大切に思っている。輪郭線といっても良い。輪郭が全ての基本。そして、輪郭に全てが含まれる、と考える。画家の現時点の実力の程も、思想も輪郭に反映される。ごまかせない。輪郭は想像を超える創造の翼だ。ものには輪郭線なぞどう見たって…

今の絵

今の絵というのは、今だけしか魅力を感じさせることが出来ない絵のことだ。 今しか表現していない絵。 流行の絵とも言う。そのひとつに幼稚な絵がある。 「幼稚な絵」と「稚拙美」というのはまったく違う。幼稚な絵には普遍性が無く、稚拙美には稚拙な表現に…

水彩ペン画

水彩とペンで絵を描くことが好きだ。 水彩だけでも絵にならず、ペンだけでも成り立たない、そのようにしたい。そのように使いたい。 そうでなければいけない、と思う。 いけない、ということは無いか。無駄に感じるだけさ。 描くときにはペンの役割、水彩の…

同じこと

私は絵描きになろうと思って日ごろ活動しています。といっても、描く(書く)ばかりで精力的に売るということができません。 営業が苦手なんですね。 それではと、いろいろ公募に出品してもみるのですが、入選しても、なんか遠い世界のことのようで空しく感…

書をものするに

書は考えて書いたから良くなった、それは無いようです。日ごろ文字を書いていて思うのはアスリートと同じで、書っていうのは体にしみこんだもので勝負する芸術のようだ、ということです。ああ、なんて高い山を登ってるんだ?登り始めて三十数年にもなるって…

お手本

問う 月初に課題・古典臨書のお手本を先生から頂くのですが、古典臨書の六文字の漢字のひとつの漢字の部首が間違っていたらしく、その部首の部分だけ別の半紙で正しく書いてテープで貼り付けてありました。これってどう思われますか? 答え 新たに書くとうま…

麻薬

普通、文字は重ねて書かないものだ。重なると何を書いたのか分からなくなるからね。 でも僕は重ねて書くことがある。書的にそれは練習の段階の時。 ジャンジャン重ねて書く。 どのように書いたかなんて気にしないし、その方が紙の節約にもなる。 でもこれは…

表現とは何ですか?

日比野克彦は「僕は何で絵を描くのかということをふと、考えるときに、けっこう旅先で、ここは二度と来ないだろうな、こんな僻地まではこないだろうなって思うときに何かそこの記憶を自分の体を通してアウトプットして描き留めたい。そういう衝動に駆られる…

本能的に行こう

棟方志功の絵というのは、模写してみた感じ、どこか本能的なところで描いているようだ。 そういうのは一生懸命で、好きだ。 きれいに描こうとか、そんなのが、描いているときには頭になくて、ただ、ただ、描くといったようで。自分も作品を描くときには、

しびれる彫刻

ヴィーゲランの彫刻。めちゃくちゃ素晴らしい。とても気持ちの良い彫刻をつくる人、ヴィーゲラン。 とりあえず、描こうじぇ、描こうじぇ! 絵描きはペンの先から美を感じる生き物さ。 あぁ、なるほど、なるほどですね。 その彫刻には哲学があるのを感じる。 …

僕の色ぬり絵

それは自然の無限を思わせる。私が、色によって絵を描くなかで無限を感じるなら、観る人も私の作品から無限を感じていただけるかもしれない。 今の時代、色の絵を描く人はたくさんいるんだぞ。だから、私の描いたものは真新しくは無いと思う。 けれども、

日本の絵

日本画の美しさ。私が感じる、その美しさ、というのはさりげない抽象化にある。 これは従来の日本画に典型の表現であると思われる。それは私だけが思っていることであろうか?わからない。抽象化することによって、

愛用の手本

僕は鳴・老人が題字を揮毫した五体字類を愛用している。すばらしい書体辞典だと思う。 とくに文字の大きさがまちまちなのがグッとくる。 私は、これを「多くの先達の書を結集した手本」とみる。 全ては一文字ずつばかりだけど、その一文字一文字を書いてみる…