ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

「らせんに思う」75回行動展(2023(令和5年)に向けて

 みなさんこんにちは。

 みずうみの底に居て水面を仰ぐシュンです。

最近キャンバスを張るために、その「枠」を製作中です。今月6月中になんとかしたい。

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ノコギリでギコギコやってね。

そんなことしながら今回の描く絵を構想する。

今回もらせんで描くのは同じだけど、昨年とは違う絵を作りたい。

とりあえず一点突破で同じスタイルで頑張っていこう。

 

 「らせん」にはいろいろと思うところがあります。

 ひとつには自分の中で「らせん」は生きることの象徴のように感じる。

らせんには、円運動を描き進む様子から時間の経過を思わせるところがありますね。

時間の経過はやがて一生と続いていくわけで。そればかりではなく自分自身の持つ時間とは無関係に延々と続いていくのだろう。

 

ひとつには「らせん」は美を孕む。

 ところで僕はいつもお金が無い。だもんだから数年前から株でひと儲けしようと目を真っ赤に血走らせて、伸るか反るかの大勝負!日々戦々恐々としています。 

 そこで株を売り買いする時には、その銘柄の、例えば日本たばこ産業JT)の株を買おうか、という時にはチャートというものを見て売りどき買いどきを判断します。そのチャートなんですが時間とともに株価が波打って変化していくわけです。その変化の様子はまさに「らせん」と一緒です。

波動しながら時々刻々移り変わっていく。そしてそれがちゃんと実体経済と繋がっています。

 そのチャートをつぶさに観察し研究してまいりますと黄金比率で値動きが変わる場面が沢山あるわけで。因みに私はチャートの値動きをこれまで10年以上研究してまいりました。

 黄金比率というのは自然の中に含まれる美の極致とも言える比率のことです。例えば人間の骨の成長の比率が1:1.618のそれだったりします。あるいは貝殻の渦巻きの比率だったり、挙げるときりがありません。

 株価の値動きがつくる「らせん」(平面だから「らせん」じゃないかもしれないが)も、ある意味、人が作りだしたものであるにもかかわらず黄金比率が現れるんですよね。そういうところに美を感じるのです。

 チャートを見ていると、その動きはとても美しくて、かつ面白く、いつまで見ていても飽きない。いつも同じ動きのように見えて、同じ動きをすることがない。ある部分を大きく拡大してみても、全体を俯瞰してみても不自然さが微塵もない。

うん、これはフラクタルだ、かつ不思議だなぁ、と思う。

 

 ひとつには「らせん」は一見すると同じことの繰り返し。

普段生活していると、大抵のことは同じことの繰り返し。らせんのようだ、と思う。だから「らせん」を描いていると「今日も昨日と一緒だな」と確認しているみたいに感じたり。

 

 ひとつには「らせん」は平面的でありながら立体的にも見える。

らせん的なもの、たとえばバネとかをある程度引き伸ばすと平面のように見える。しかし、角度を変えて、あるいは縮ませると立体的に見えるもんです。そういうところに面白さを感じる自分はちょっとおかしいのかもしれない。

 

ひとつには「らせん」は蛇が泳ぐ軌跡のようにも見えなくもない。

まぁ、頑張っていこう。