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鉛筆大好き!鉛筆で描く
なんだか毎日寒くてね、やることなすこと全てがこぢんまりとしているシュンです。
僕はよく鉛筆を使う方かと思う。
サラサラっと紙を滑る感じと鉛筆が走る音っていうのが、なんとも気持ちいい。いざ描き始めるにしても何の準備もいらないし。
鉛筆は三菱のハイユニを愛用しています。いろいろなメーカーの鉛筆も試してみますが、ハイユニがとにかく素晴らしい。
芯が引っ掛かりもせず、どもまでもスルスル走っていく。
この当たり前のような鉛筆の基本性能がしっかりしている鉛筆こそハイユニ。
ところで日頃から絵を描くなかでも特に人の絵はうまくいかないもので、よく描くんです。しかし、いくら描いても描き足りない。
常々、人物の絵はドガのように描けたらな、と思う。それでパソコンを開いてドガの絵を探す。見ると、やっぱり凄いんだなぁ。
どういうわけでこうなっちゃうのかな?と感じる。
それで勉強がてらドガの絵を模写したりして。
模写していると人物の旨さより、まずは絵の作り方の旨さにびっくりです。
それで人物の表現に唖然とし、結局は我が行く道のあまりの遠きに愕然とし「これ程まですごいのか」と茫然自失してしまうのでした。
「らせんに思う」75回行動展(2023(令和5年)に向けて
みなさんこんにちは。
みずうみの底に居て水面を仰ぐシュンです。
最近キャンバスを張るために、その「枠」を製作中です。今月6月中になんとかしたい。
ノコギリでギコギコやってね。
そんなことしながら今回の描く絵を構想する。
今回もらせんで描くのは同じだけど、昨年とは違う絵を作りたい。
とりあえず一点突破で同じスタイルで頑張っていこう。
「らせん」にはいろいろと思うところがあります。
ひとつには自分の中で「らせん」は生きることの象徴のように感じる。
らせんには、円運動を描き進む様子から時間の経過を思わせるところがありますね。
時間の経過はやがて一生と続いていくわけで。そればかりではなく自分自身の持つ時間とは無関係に延々と続いていくのだろう。
ひとつには「らせん」は美を孕む。
ところで僕はいつもお金が無い。だもんだから数年前から株でひと儲けしようと目を真っ赤に血走らせて、伸るか反るかの大勝負!日々戦々恐々としています。
そこで株を売り買いする時には、その銘柄の、例えば日本たばこ産業(JT)の株を買おうか、という時にはチャートというものを見て売りどき買いどきを判断します。そのチャートなんですが時間とともに株価が波打って変化していくわけです。その変化の様子はまさに「らせん」と一緒です。
波動しながら時々刻々移り変わっていく。そしてそれがちゃんと実体経済と繋がっています。
そのチャートをつぶさに観察し研究してまいりますと黄金比率で値動きが変わる場面が沢山あるわけで。因みに私はチャートの値動きをこれまで10年以上研究してまいりました。
黄金比率というのは自然の中に含まれる美の極致とも言える比率のことです。例えば人間の骨の成長の比率が1:1.618のそれだったりします。あるいは貝殻の渦巻きの比率だったり、挙げるときりがありません。
株価の値動きがつくる「らせん」(平面だから「らせん」じゃないかもしれないが)も、ある意味、人が作りだしたものであるにもかかわらず黄金比率が現れるんですよね。そういうところに美を感じるのです。
チャートを見ていると、その動きはとても美しくて、かつ面白く、いつまで見ていても飽きない。いつも同じ動きのように見えて、同じ動きをすることがない。ある部分を大きく拡大してみても、全体を俯瞰してみても不自然さが微塵もない。
うん、これはフラクタルだ、かつ不思議だなぁ、と思う。
ひとつには「らせん」は一見すると同じことの繰り返し。
普段生活していると、大抵のことは同じことの繰り返し。らせんのようだ、と思う。だから「らせん」を描いていると「今日も昨日と一緒だな」と確認しているみたいに感じたり。
ひとつには「らせん」は平面的でありながら立体的にも見える。
らせん的なもの、たとえばバネとかをある程度引き伸ばすと平面のように見える。しかし、角度を変えて、あるいは縮ませると立体的に見えるもんです。そういうところに面白さを感じる自分はちょっとおかしいのかもしれない。
ひとつには「らせん」は蛇が泳ぐ軌跡のようにも見えなくもない。
まぁ、頑張っていこう。
本阿弥切(いかがさき〜)古今和歌集457
2000年以降のこれからの時代、機械的にやれることは皆、機械化されてしまうし、順次されてきたのかもしれません。
機械的に考えることも皆、AIで処理されていくのだなぁ。そうなってきますと、人がやる仕事はたいてい機械化できて。そうしていくうちに機械がやる仕事より正確か、速いか、機械には出来ない仕事しか、お金がもらえない世界になるのだろうか?
これまで、機械は考えることが出来なかった。しかし、AIを搭載した機械は人間には及ばなくとも、単純に考えることも可能になってきたみたいだ。
さしたる能力もない自分は、困ったわぁ、と思う。
ところで、
いかがさき
「かぢにあたる 波の雫を春なれば いかが咲き散る花と見ざらむ」
古今和歌集457番
のお歌を筆ペンで書いてみました。
これは本阿弥切というやつで私の大好きな古筆です。何度真似て書いたか覚えてないほど書いたっけ。もちろんこれも手本を横に置いて書いたものです。
それなのに、いつになっても手本となる文字を見ないで、それと同じように書けるほどの力も無い。そんな自分に唖然とする。どういう訳ですか?
まぁ、それは他人が書いた文字なわけだから、同じようにならないのは当たり前だとして。
それより、同じレベルにすらならないのは何故だろう?
・・・・・と、文字を書く度に稚拙な自分にがっかりし、到達めざす峰の高さに驚愕する。
「始動!」78回行動展(2023(令和5年)に向けて
みなさんこんにちは、ポカーンと口を開けて暑さを凌ぐシュンです。
さて、毎年のことですが東京の国立新美術館で「行動展」という絵画展が9月ごろ開催されます。これは行動美術協会が主催の展覧会です。
今回で挑戦2回目になりますが、頑張って、それに向けて始動です。
ところで私は去年の夏ごろに体を壊しました。 働きすぎましてね、慢性疲労症候群というやつです。
こんなに体調悪いんじゃ今年の行動展は出すのは無理かも、と思ってましたが、ここ半月ばかり調子が良いのです。
6月になってみると、頑張ってみようか、という気分にもなってきて。そうは言っても、もう6月。体の状態は好転しても今度は8月中旬ぐらいまで2枚描けるのか?そこが問題。まぁ、頑張っていこう。
昨年はF100号サイズのキャンバスに描きました。今年もF100号に描くつもりです。
F100号というサイズは自分の身長と同じ高さの大きさがあります。自宅の6畳間で描くと結構な大きさに感じますが、展示される新国立美術館で見るとちょっと小さくて見映えしません。しかし、そこは、まぁいいや、という感じです。
数日前にキャンバスはロールのやつを注文しまして、それから近所のホームセンターから枠を作るための角材を買ってきました。
とりあえず2枚描くつもりなんですが、4枚分の枠を作ります。来年の分も一緒に作ることにしました。
これでキャンバスを張る枠を作ろう。木を組むので角材に鉛筆でケガキました。
始めの写真はその設計図になります。まぁ、いい加減な設計図ではありますがね。これを元に頑張っていきましょう。
キャンバスはクレサンのAライン。先ほど届きました。
クレサンのAラインは油彩でもアクリルでも使えるので重宝いたします。
今回は何を描こうか?といっても今年も去年に引き続き、らせんで絵を展開していくつもりでして。
純粋に抽象でやろうかな?なんだか風景画も描きたい気分ではある。それを両立できるようなやり方を模索して作品にしても良いか?
いろいろ考え始めると、しばらく体がフリーズしてしまう、気づくと数十分経ってたりして。
絵はどこまでも自由な世界ですからね、自分が王様です。他人からどのように見られるか?というのを気にせずドンドンやっていこう。
夏を思い出すお酒
冬に向かってまっしぐら。しかしストーブは12月になってから、と心に誓うシュンです。
日に日にドンドン寒くなってまいりましたね。
昨日は皆既月食もありましたし、久しぶりに夜空を見上げました。
私が以前飲んだお酒でテキーラ5レポサドアガベ100%というのがあります。
夏が近づいてきますと飲みたくなるお酒です。アルコール度数 40.0%
メキシコテキーラ規制委員会認定蒸留所の100%ハリスコ州原産アガベのみを使用したテキーラです。
熟成を経て金色に輝くレポサドはロックで飲んでも美味しいですが、アルコールに弱い自分は炭酸で割って飲むのが定石になってます。
それで、とても美味しかったので記念に絵を描くことに。
描くと言っても筆ペンでチャチャっと描いただけで、あとはフロッタージュしただけなんですが。(フロッタージュ(frottage:仏)は、凹凸のあるものの上に紙を置き、鉛筆などの描画材でこするように描くことで、対象の凹凸や形状を写し取る技法です。 フランス語の「frotter(こする)」に由来します。)
せっかくなのでYouTubeでテキーラの作り方を勉強しようかな。
ロイヤルサルートを描いてみる
秋晴れが気持ちいい仙台にいるシュンです。
お久しぶりです。
ここ2年半くらいリネンの配送の仕事をしてまして奮闘してましたが働きすぎましたね。辞めたくなかったので半年ほど限界を越えて無理したら、お盆の頃から体を壊しまして自宅療養してました。
しかしまだまだ調子が悪くて正常に戻るには時間がかかりそう。
50過ぎのこの歳になるまでロクに年金に投資してこなかったので、それに不安を感じて、これまで働いてたのでした。
なんとか定年までリネンの仕事でやっていくつもりでしたが、まだまだ定年退職にはほど遠い52歳でドロップアウト、世の中うまくいかないもんです。
現在、仕事を辞めてから2ヶ月くらい経ちまして、いくらか体の苦しさが薄れましたのでリハビリがてら、ちょっとスケッチでもしてみようかな。
夏頃に子供のころからの友人にロイヤルサルートを頂きました。それをスケッチしていこうと思います。とりあえず描くためにセッティングします。
これを描こうかな、と思い立つ少し前に焼きそばとお菓子を近所のコンビニで買ってきましたので、それも描くことにしました。
はじめに三菱のボールペン「ジェットストリーム0.7ミリ」で線描き、次にカランダッシュのクレヨン「ネオカラー1」で色ぬりです。
はじめに描いた紙が薄いので少し厚い紙を裏打ちしました。それにまだ、描き足りない感じがあるので今度は愛用のファーバーカステルの色鉛筆「ポリクロモス」で塗っていきますか!
だいぶいい感じになってまいりました。けど、もうひと頑張りしてみます。
だいたい良い感じに仕上がったので完成!
もし、ご興味ありましたらメルカリで販売中です!よろしくお願いします。
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★youtubeでロイヤルサルートスケッチを描く過程です。
77回行動展に向けて05(完)
おはようございます、氷枕で何とか暑さを凌ぐシュンです。
前回からの続きです。
黒のらせんを描いたところで前回は終わりましたが、そこから白のらせんを描き足しました。
なんか生き物の細胞じみてきました。これで仕上げにしてもいい気持ちになりましたので、完成ということにします。
この後は額装して東京に送る作業だけ。
今年は来年に向けてもう一枚100号を描いておきたいなぁ。
年内に1枚描いておけばさ、年が明けてから夏までの間に1枚描けば良いから気分も楽です。
ところで、点描をやっていると色彩の調和にとても神経をつかう。とは言っても9割は無意識に描いているから神経を使っていると言えないかもしれないけど、1割ぐらいは一意専心で描いているのは確かだ。
色彩の調和は世界を調和させゆくことと同じである、と思う。
主観的調和はたやすく、客観的調和は難しい。主観的調和は自分勝手で自己中心的で良く、なんら問題は起こらない。
客観的調和を目指そうとすれば多くの思想と対話しつつ、個性を表現できるようにしなくちゃならない。
それは環境に妥協することとは違うから、長い時間をかけて取り組むことになるだろうな。
クレーは「世界観などというものは自ずから生まれ出てくるのだ。
その世界観が決定的にどの方向をとるか、それはただ自分の意志によって決まるのではなく、すでに母親の胎内にいる時からいくらか運命づけられている、と私は思う」と。
自分の作品の世界観の端緒は常に心血注いで出来たものの中に見え隠れしているはずだ。それを意識して見つけ、大切に育てていこう。