ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

愛用の手本

 僕は鳴・老人が題字を揮毫した五体字類を愛用している。
すばらしい書体辞典だと思う。

とくに文字の大きさがまちまちなのがグッとくる。

私は、これを「多くの先達の書を結集した手本」とみる。

全ては一文字ずつばかりだけど、その一文字一文字を書いてみると、無限の宇宙を感じる。

どこの書道グループにも入っていない私の書の唯一の先生が、この本である。

何百という千年レベルの書の達人が私を支えてくださっている。いつの日かその恩に報いなくては、と思う。

 

 文字は、書かれた文字に全てが含まれているのだよ、と文字達が話してくれた。

だから、文字に込められた感情も、書く速度も、筆の持ち方も、その傾きも、潤滑も、筆順も、なにもかも、すべて文字と問答するしかないのかな、と思う。
一文字を何度も、何度も書くと、すこしずつ文字がささやいて教えてくれるのだ。
そのささやきを、ちょっとまわりが騒がしいだけで掻き消えてしまうような、そのささやきを聞き逃すまい、と今日も文字と戯れる。