麻薬
普通、文字は重ねて書かないものだ。重なると何を書いたのか分からなくなるからね。
でも僕は重ねて書くことがある。書的にそれは練習の段階の時。
ジャンジャン重ねて書く。
どのように書いたかなんて気にしないし、その方が紙の節約にもなる。
でもこれは見せられないな、と思う。その反面、絵的には、作品といえる。
だから見せても良いかな、とも思う。
ですから、ここでは絵として見ていただきたいと思います。
練習の時、
私の場合ほとんどは書いている文字を見ていない。
それでは書きながらどこを見ているのか、といえば手本を見ています。
私にとって見ることは書くことである。
その「見る」と「書く」の間に出来るだけタイムラグが無いようにしたい。そうして初めて見ることは書くこと、となる。
それで結局何を書いたのか? 練習したものを後から見ても黒くなっているだけで、意味が無いことをしてるかのようだ。
それをやっていて、何度もそう思うことがありました。しかしそれは、脳の左脳が主導的に動いている時にそう思う。
ちょっとでも右脳に切り替わった時に、これを見ると、意味が無いなんて思えない。むしろこちらの方が大切なんだ、くらいに感じます。
どちらの考えに従ったら良いのでしょうか? 私はこれまでの経験から考えて右脳から出てくる考えを大事に思っています。
僕の右脳は「脳にとっては、どう書いたのか? は問題ではありませんよ。何をイメージして書いていくかが一番重要なんです」と言います。
字は真っ白な紙に書くのが良い。用具は鉛筆でもボールペンでも何でもいいけれど。
線も何もない紙に書くときの感触と自由感、それがたまらいんだ。
これは何にも代えがたいと思う。
文字を書く快感はひとえにこの筆触の快感に由来する。この快感に溺れたくて毎日書いている、ともいえる。
筆を持って和紙に書くときの感触も同じだ。
筆触の快感は大事で、それが字を描く動機にもなったりする。麻薬ではないけれど、同じようなものが脳を刺激しているんじゃないだろうか。