ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

お手本

 問う 月初に課題・古典臨書のお手本を先生から頂くのですが、古典臨書の六文字の漢字のひとつの漢字の部首が間違っていたらしく、その部首の部分だけ別の半紙で正しく書いてテープで貼り付けてありました。これってどう思われますか?

 

 答え 新たに書くとうまくいかないから、そのようにされたのだと思います。

その程度の技量であると受け止めて良いと思います。

しかし、それを手本にするのはまずいのではないか?と私は思います。

それは、例えば口伝えで聞いた話を別な人に伝えるのと同じで、肝心なところはうまく伝わりません。

そこからは、何もまともに学べないように思います。こういうことしちゃいけないな、という教訓しか残らない。

しかし、

 

それを分かった上で切り貼り文字の手本とするのであれば問題ないようにも思います。

それはそれで、バランスが崩れていつつ古典を思わす文字になるかもしれない。

こういうことは先生(の書いた文字を切り貼りした絵)を手本とする、ということで古典の臨書とは別の次元になります。
話がずれましたが、先生は古典を先生として臨書したのでしょうが、さらに先生の書いたそれを見て学ぶ人は、その時点で先生の書かれた手本は古典ではないから、古典を臨書したとは言えないでしょう。