ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

よしのやまみねの(拾遺和歌集4)

今日は重之集を臨書しようぜ。

重之集の文字は繊細で、線質もきらめいて。

いつも思うんですが仮名って、ひらがなって凄いんです。

何が凄いのかって、書く人の心の変化に合わせて使う文字をドンドン変えていけるんですよね。

重之集の仮名臨書作品

拾遺和歌集4番
源重之

★よしのやま

みねのしらゆき いつきえて

けさはかすみの たちかはるらむ

 

 

重之集の仮名臨書作品

 

吉野山峯の白雪いつきえてけさは霞の立ちかはるらん

 

★いったい吉野山の峰の白雪はいつの間に消え

 て今朝は霞に立ち替わったのだろう。

重之集の仮名臨書作品

たとえばさ、「あ」を書こうと思ってても丸い形を書きたい気分じゃなければ、「悪」と書いても良いのだし、「安」と書いても良いんですよね。

今のひらがなのルールではそんなこと許されない。

それでいて、過去の文字の歴史の上にもちゃんと立っているわけで。漢字の延長線上に平仮名もカタカナもあるわけです。

それは、漢字を学ぶことは平仮名とカタカナを理解する助けにもなるってことです。

韓国のハングル文字も使い方としてはひらがなと同じだけれど、漢字とは開発過程が違うようだしね。開発過程が違うと書としては成り立たないような気がします。

ひらがなは漢字芸術の流れを基本に据えることもできて、将来にわたって発展させていけるんですよね。

過去の書道家の努力が無駄にならない。

重之集の仮名臨書作品