ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

つくりかためなせ

今現在の日本はまさに7世紀の白村江(はくすきえ)の戦いの後の状態に似ているような気がします。

当時日本は、白村江の全力を賭けた戦いに敗北して、すべてがおかしくなっていくかに思われた危機にあって天武天皇によって生まれたのが古事記でした。

それで、その古事記にある修理固成(つくりかためなせ)を書いてみました。

 

 

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日本はこの前の全力を賭けた戦争で負けました。

その影響により、その後の70年で日本の何もかもがおかしくなってきました。本当の日本が消えて無くなりそうにも見えます。 

現実に政策もあらゆる自由を奪ってがんじがらめに国民をしばっていくようなことばかり目につきます。

身近な例では度を越す違法駐輪の取締、度を越すゴミの分別、教育の税金化(無償化)など、いい加減にしてほしい。個人の自由をどんどん奪っていくことばかりだ。

おまけに誰もかれも事実にこだわらない社会になってしまったじゃありませんか? 

その証拠には日本を背負って立つ子供への教育で事実を隠すようなことばかり教えてますし、もうすでに手遅れの状態かもしれませんが。

こんな教育をされたら「もう日本を愛せなくなるよ」ってことだけ集めて教科書にしていますからね。

 

それで僕もこんなんじゃいけないぞ!歴史的事実をちゃんと知っておかないと何もまともに判断できないや、と思いまして世界の歴史と日本の歴史を学び直すことにしました。

僕にとって歴史を知るってことは昨日の失敗を今日に生かすために知るってことですから、事実かどうかがとても重要です。

昨日何かに躓(つまづ)いたということが事実じゃない場合、躓かなかったのに躓いたことにするわけで、そこには何も学ぶものが見つけられないですよね。

といっても、学び直すほどの歴史をそもそも僕は知っちゃいませんでしたが。

僕が教えられて知っていたのは、日本って国は世界中でどこよりも凶暴で世界中を侵略し蹂躙してきたのだ!ということだけです。これは事実でしょうか?

だってほら戦後に出来た日本国憲法の全文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とありますからね。

つまり、戦前は日本だけ平和を愛していなかった、ということでしょう?

マスコミはこぞって中国も韓国も日本が侵略してきて大変だったと伝えるのだし。

 

それで最近ね、世界の歴史的事実を追っかけて学んでみましたら、ぜんぜん違うじゃないですか!? それどころか歴史を大きく見れば平和を愛してきたのは日本だけと言っても良いくらいですよ。

 

そういうわけで最近読んでいる古事記の上つ巻(かみつまき)のはじめのほうに「つくりかためなせ」と。

漢字で書くと修理固成となります。日本人の気質をまさに表現したようなことばですよね。

 

ことわりを修めて、それを自身の中にしっかり固めて事を成していく、それがゼロからつくるってことなんだろうなぁ、きっとさ。

日本での漢字は昔からヤマト言葉の意味を補うために使われ発展してきました、ヤマト言葉が先にある。

つい最近まで逆だと思ってました。漢字に合わせて言葉があるにしては出来過ぎてるなぁ、と思ってはいたんです。

 

僕も日本人であるからには漢字を使うにしても支那の表現じゃなく日本の表現でやっていきたい。漢字だけの文でも日本的漢字表現の日本語を書いていこう。

僕は漢字の書的表現には大きく2つあると考えています。

一つは漢字発祥の国である東晋(317年〜420年)からはじまる支那的表現。

一つは日本の仮名との兼合いで発展して生まれた日本的表現です。

同じ漢字であっても支那的表現と日本的表現とはまったく違うものです。

そして戦後になって簡体文字などを使うようになった中国をみれば、自ら書の歴史を軽視して脱線していきましたね。

 

明治維新のあと日本も危うく韓国のように漢字をやめようという運動があったらしいです、ので人のことは言えませんがね、なんとか「使用ひらがなの限定」と「使用漢字の限定」くらいにとどめて持ちこたえてくれました。それでも僕からしたら日本文化を衰退させる大失策です。

そうなると書の歴史の流れを引き継ぎ、かつ仮名とカタカナを発明発展させたわけですから、その先端にいるのは間違いなく日本でしょう。

それに古事記を読んでいますと、つくづく日本て国はものすごいのだなぁ、と思うんです。

だから僕は日本的表現を追求して頑張りたい。

とはいえ、日本でも多くの書家が支那的表現の漢文ばかりやっている現状をみると残念です。

 

僕は文化的、芸術的側面からいつも日本を世界を見ています。

僕にとって芸術は平和と同義語です。

文化、とくに芸術が生まれるには自由と平和があることが前提だと強く感じます。

芸術があるところには必ず自由と平和があった、ということもできるでしょうね。

つまり芸術が生まれてることが平和な証拠であるわけです。

 

普通に考えてさ、身の危険がある状態で芸術を追求するなんて出来ない相談です。

世界を見渡しても自由と平和のない状態の国では量的に芸術は無いに等しいですからね。

縄文からはじまる1万年以上の長きにわたる日本の文化と芸術の完成度と奥深さをみるだけで、いかに自由で平和だった時代が長くあったのか推測されます。

最近では日本で発掘された土器から武器が出ていないことから1万2千年以上ものあいだ戦争の無い時代が続いたといわれていますよね。

実は、ついこの間まで戦後70年戦争をしなかっただけでも日本てスゴイなぁと思っていましたが調べれば1万2千年ですよ、すごいですねー、どんだけ日本は平和国家なんだって話です。

 

僕が思うにこれからの世界は芸術の多さで国の何たるか?を競うべきだ。

なんたって芸術を育むには一部ではなく全ての人に自由で平和な長い時間と、それに見合った高水準の教育が必要なんですから。