今日は、無性に文字を書きたくて書きたくて文字書き三昧の一日でした。
なんだか文字を書くのは麻薬みたいだ。
なんだかまだ書き足りなくてウズウズしています。
朝は2時くらいに目が覚めましてね。0時くらいに寝たのにすぐに起きてしまいました。
それで、2時間くらい字を書いたでしょうか、疲れたので寝ました。
次に目覚めると6時でした。それで、また文字を書き始めて、2時間くらい書いて疲れて寝ちゃいました。午後からは仙台メディアテークという場所で宮城県の芸術祭が催されていて、今は書道展をしています。それを鑑賞してきました。というか、落書き帳を持参して展示作品をお手本に文字を練習しまくってきました。
夕方自宅に帰ってきてから、また文字を書き始めて、もう23時か。
さて、今日はたくさん練習がてらに書いたんですが、そのうちで、なんとかお見せできそうなのをアップしよう。
これは明治32年兵庫県生まれの仲田幹一さんの文字を臨書したものです。ちらし方がカッチョイイです。
実際は薄墨で書いてあって、こんなんじゃないので臨書とは言わないか。
書いていて、いろいろ思うところがありまして、こんな風になりました。
仲田さんは尾上柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。)に学んだ書家です。
書かれた文は「一昨日はあの山こえつ花ざかり」です。
松尾芭蕉の一門の向井去来(むかい・きょらい)(1651~1704)の句。
そして次のこれは、僕が大好きな重之集を見ながら書いたものです。
重之集は、その線質の繊細さにシビレる〜。
これまで何度も何度も書いているので今日は微妙に自分の好みに合わせて文字を変形させてりして書いたりしました。
後ろの方の「なりぬべきかな」のところの「な」と「ぬ」は本阿弥切のようだ。
重之集は千年くらい前の文字だけど、仮名ってスゲーぜ。
仮名を書いていると、その中に書の歴史が全部含まれてくるのを感じる。
楷書、行書、草書、隷書ぜんぶだ。だからぜんぶやらないと理解がおぼつかない。篆書やそれ以前の文字は、まぁ、あまり関わってこないような気がするけれどね。
日本特有の「漢字かな交じり」という表現は漢字文字の歴史の上で究極のものであると思う。
人間がついこの間地上に生まれてきたように、漢字かな交じりは文字の進化の最終形のように僕には見えるんだ。それにカタカナもあるしさ。
しかも、民族を越えて進化し続けたところがスゴイじゃないですか。
僕はそれを思うと、つくづつ日本に生まれて良かったと思うよな。
人類に男と女がいるように、漢字にも男と女がいてはじめて自身を取り巻く環境の表現に対応していけるんだろう、と昔の日本人は思ったのかもしれない。