わがせこに(万葉集)
季節外れの冬の歌なんですが、不思議ですね。
歌を書いているうちに気持ちだけ冬になった感じになってきました。
---原文:万葉集 巻八(一四二六)
あかひと(山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)
わが背子に 見せむと思ひし梅の花 それとも見えず雪の降れれば
(わがせこに みせむとおもひし むめのはな それともみえず ゆきのふれれば)
---現代語訳
愛しい人に見せたいと思っていた梅の花はどこなのかわからなくなってしまった。雪が一面に降ってしまったので
---作品中の文字
あ可ひ東
わ可勢こ爾美世んと
お无ひしむめ能
者那
楚礼と无見盈寸
ゆ支の不連ゝ者
和歌を読んだり書いたりしていると、その度に日本に生まれ育って良かったな、と思います。深さに( ゚Д゚)!ビックリです。
今の日本では国をあげて昔使っていた文字を子供に教育しないで読めないようにしていますね。
日本はつまり将来、誰も古い本を読めないようにしたいらしい。
誰も古いものを読める人がいない状況になったら、どうなるだろう?
今の韓国は漢字を捨てた時点から自分の国の歴史を遡って学ぶことが出来ないと聞いたことがあります。
昔のことは良いことも悪いことも忘れることにしよう、ということかな?
歴史を捨てれば、誰でも自由に過去を作り出すことが出来るようになります。
これは良いことなのでしょうか?
仮名は今の日本人の多くは読むことも書くこともできません。
ほとんどの人が読めない文字を書くことに意味があるのか?と思われる方もいるでしょうね。
しかし僕の考えだと、今生きている日本の文字というのはこれまでの中国を含めた文字歴史の上に乗っかっています。
中国は平仮名を知らないし、今も漢字だけの世界です。
日本は漢字かな交じりの世界。
たとえば文字の歴史が全部で20階建てのビルだとしたら、日本は最上階で、中国は19階にいます。
韓国は漢字を捨ててしまったから問題外ですね。
歴史を見ないようにすれば、自由で良いかもしれませんが薄っぺらな表現にしかならないし思いつきの表現しか出来ないね。
仮名は漢字の表現の上に乗っかっている。
そうなると、仮名に到達するまでの過程をおおよそ分かっている必要が生じます。
そして仮名が生まれて現代に来るまでの道のりを知っておかなくちゃな。
今のところ、僕の仮名は平安調で古い表現なのですよ。おまけに表現とまで至っていないね。
普段文字を書かない方々に比べれば、すこしはマシなのかもしれないが。
今はちょうど楷行草漢字が出来て千年くらいの、仮名が完成された頃という文字歴史上の真ん中に僕は立っている。
でも、まぁ、そのうちには21世紀まで追いつくつもりです。
そして死ぬ5年くらい前までには現代の漢字かな交じりの表現に昇華させられるように頑張ろう。
それで一枚くらいはさ、現代の書作品と言えるものを残したいな。