ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

空間の広さ

書は大好きで子供の頃からやっています。

私はアウトサイダー的な方でどこの書道グループにも属していない。

現在は独自に歩んでおります。というのも、誰かに教わるのが苦手だからです。

もちろん、小学生のころは近所の書道教室に通っていました。

しかし、大人になってみると、これは学ぶスピードが遅すぎてイライラするのです。

それでわが道を歩む、

 

みたいになってしまいました。本心としては書道仲間と楽しく切磋琢磨したいですが。
書をするとき文字は紙に書きます。そうすると大きさをどうしよう?と思う。
それは必要に応じて、必要な大きさで書くのが良いんだ。
必要に応じて、必要な大きさ、とはどういうことでしょう?
 私には、私が生きるために適度に必要な空間というのがあります。
三畳ほどの広さでは辛いです。

息苦しくって。

百畳くらいに広すぎると、こんどは経済的にも分不相応になってまいります。

電気代やら何やら大変です。

そう考えていくと空間の広さ、というものは、その人を表現している、とも思える。

生活面からも、経済的な面からも、気持ちの面からも、外交的な面からも、必要とされる空間というものが当然変わってきます。

虫にも、その虫が生きるのにそういった「ちょうど良い必要な空間」というものがあります。

 

もちろん文字にも、とてもシビアなものですが、あるわけです。
文字が生きるのに必要な空間が紙の大きさであれば、自然と紙の大きさが決まってくるのだと思う。

ある大きさの紙、その広さの紙をどうしても必要とする文字とはどんなものでしょう?それは自分の感覚で決めていくしかないのかな。
ある文字を書こうとしたとき、墨の濃さは薄い方が良いのか、どのくらいの文字の大きさで、どのくらいの量で、どんな気分で書いて、どのくらいの筆を使うのが良くて、どのようなリズムが似合うのでしょう?

紙の荒さは?

そうさ、すべて王様である僕が決めるんだ。

 

私は紙の大きさというのは、必要な空間とはそういうさまざまな考えがめぐらされて決まっていくのではないのかな、と思う。