ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

僕の色ぬり絵

それは自然の無限を思わせる。
私が、色によって絵を描くなかで無限を感じるなら、観る人も私の作品から無限を感じていただけるかもしれない。

印象派のような色ぬり絵の作品画像

 今の時代、色の絵を描く人はたくさんいるんだぞ。
だから、私の描いたものは真新しくは無いと思う。

けれども、

 

あまりに描いていて楽しいものだから延々と飽きるまでやるしかなかろうな、と思う。

 色の絵には、形といえるような形はあまり意味がないように思う。

私は四角か丸の程度で良いと思う。

それ以外は形が主張しはじめるのだ。

形の刺激力というのは強力なもので、形が主張し始めると、それより弱い立場の「色」は負けてしまう。

あるいは、一度何かしらに見えてイメージが固定化すると、色は影に隠れて見えなくなる。

そう、純粋に色を感じる絵にしたいと思って出来たものが僕の絵だ、と言いたいのだろう?
しかし、よくこの絵を見てみたまえ。
それは主張性に欠け、インパクトに欠け、一見つまらなそうに見えるのは気のせいか? 特に絵に馴染みが少ない人にはゴミのように感じよう。
 そうだ、色だけの絵を見る側は、かなり、つまらないかもしれない。しかし、反論させてくれ。街に住んでいる人が田舎にくると、何も無い、と言うだろう?
これは、それに等しいことのように私には思えるんだ。本当は何でも揃っているのに見てえないんだから。