ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

方向性

バルテュスは「私は、自分を表現しようとしているのではなく、世界を表現しようとしているのです」と。

作品には何かしらの方向性があれば良いのだと思う。

自分を世界とする表現の方向、何かしらの世界を垣間見た表現の方向など。何に関心があるのか?何に興味があるのか?それが世界ということなのかもしれないな。

例えばピカソは多くのことに関心があった、

 

その関心の多さが作風の多さなのだろう。

僕は何に関心があるのだろう? 自分を世界とする表現はすぐに行き詰まってしまいそうな気がする。

僕は自分の小ささをよく知っている。

許しがたいことには、命のどこか隅のほうに、いつも苦しくなったら相手構わず逃げ出そうと考える卑怯な奴が膝を抱えて座ってる。

ダメだぞ、と睨みつける。

そう考えると自分を世界とはできないな。

それより、なにかに興味ををもって関わり、そこから影響を受けてできる作品にしたい。それが良い。その中で自分も表現として勝手に出てしまった、みたいなのが望ましく思うんだ。それならきっと行き詰まらない。それは何かの縁によって出来る作品とも言える。そういう方向で絵を描いていきたい。