ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

簡単そうに描きたい

僕は色塗り絵をよく描くんです。

その色の絵は今のところ絵を描くにあたって必要となる原理原則の研究の表現である。

これは描く原理であって、何かを描くときにこそ役に立つものだ。

これを見せて誰かを喜ばそうとか、驚かそうとか、楽しんでいただこう、などと思って描かれる類いのものではありません。

 

風景画や花の絵が好きな僕は、そうしたものを描くために日々、色を研究してゆく。

あるいは絵を描くために文字を書き、絵のために線を秀逸にする糧としたいと考える。

またこの上なく文字が大好きなので、それを良いものにしたいがために絵を描くのだ、ともいえる。


練習する過程に生まれる作品を、僕は宝石のごとく見つめる。

普通はそれらは作品とは言われない。しかし、大量になされるその仕事にこそ自分のすべてが表現されているんだと思う。

つぶさに見れば、

 

端々に未熟な上の危うさと未来に花を咲かすだろう芽があるのだ。

僕は絵でも文字でも、簡単そうに描かれたものが良いと思う。なぜだかな。そういう絵はシンプルで頑張った形跡が無い。

しかし、それが描けるようになるまでには相当な練習量を必要とする。

特に文字は時間をかけたとて良いものになるわけでない。

これはハッキリしている。

ひとえに日頃の積み重ねが結実したものに過ぎない。

日頃が大事なのだ。

絵も同じだと思う。

作品の制作にかかる時間は必要に応じて最低限であるのが最上だと考える。無駄に時間をかけるのは、いつまでも何を言いたいのか分からない人の話に似て観る人を疲れさせる。

しかし、簡単に描く、それだけではダメだと思う。溢れんばかりの愛情をもって簡単に描く、というのが良い。愛情を持たなくちゃな。