マチスも同じようなことを言われてましたが、色彩表現においてもデッサンが必要なのだ、と思います。
デッサンっていうのは僕の場合、トレーニングとしての素描のことを言います。
こんな感じで、ね。
沢山やって、出来が良いものがあれば作品にもなるでしょうが、デッサンっていうのは、やっぱり所詮トレーニングなんだと
決めておきたいよね。そういうことで割り切りたい。
だから、たとえば通常の人体を描いた時に、右手と左手の長さが極端に違っているようにしか描き出せないとき、それはしばしば不適切とされ、「デッサンが狂っている」などと言われる。そいういう場合であっても、トレーニングがなってない、という認識で一致です。
ところで、色彩においてのデッサンは考える必要が無いので、純粋に絵を描いている感じがするもんです。
色のデッサンは、もう!!!楽しいですョ。
色の感覚があまりに鈍感だった頃、子供の頃に知っていたら、と思ったものでした。
どのようにするんですか?
それは風景をスケッチすることや、写真を見て絵を描くことと何ら変わらない過程です。
ただ、それが、色だけで描く、というだけだ。
風景も、色だけになると、
風景だか何だか分からないものになる。
分からない方がいい、ってくらいのものでして。
しかし、それでいいのだ、と思う。
なぜかと言えば、色のデッサンだから、色が主役。
慣れないと、はじめは難しいかもしれないね。
色のデッサンで必要なものは、あ、この色いいな、と思うところから始まるのだと思う。
とりあえずは、そう思わないとデッサンする気が起きないものです。
だから、外に出て色を探しに今日も出かける。
そう、色のデッサンは外でやる仕事なんでした。