ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

色って色々と見えてしまう

色は色彩の体験の量、感情、錯覚によって、正確な色の見え方の度合いが変わってくる。
色彩体験が少ない人は、勝手な脳の思い込みで見えた色を判断することが多いため、視覚的に色が正確に見えていないことの方が多いようだ。 たとえば、金赤だと思っていたものが茶色だったり、緑色だと思っていたものが、本当は紫だったりする。
感情が昂ると色彩も違った風に感じます。
たとえば同じところに百人居たとします。

 

実は百人それぞれが違った色でその風景を見ています。

それは百人の一人一人の色彩感覚がみな違っているのだから。とはいえ、全く違っているわけでなく微妙に違っている。青を見ていたとして、ある人には黄みの青に見え、ある人には赤みの青に見える、といった具合です。

 

ところで、色というのは隣り合う色に影響され、隣り合う色に影響をあたえるものだ。だから、錯覚して色が見えたりする。

 

赤く塗られたポスト。赤で塗られているわけだから赤なのだけれど、そこに影ができたり、日差しが強くなったりすると色彩はかなり変化する。 赤であって、その赤、ではなくなるのだ。それを描こうとするとわけがわからなくなって混乱する。

私もちょっと前まではそんな感じで、混乱が多かった。今は少しマシになったような気がするが、それが多少良くなっても、今度は色使いにセンスがないーと思う。
 色彩体験の多い人っていうのは、ある色の中に、微妙な変化があったとき、ハッキリと気づかれる。もちろん体験豊富な分だけセンスもある。

さらにファッション感覚あふれる人になると自在に配色できたりする。すごいなー、と思う。 そう考えていくと色彩を用いた絵を多く描いている人は色彩体験が多いことになるのだろうか? 私はそうとも言い切れないな、と思う。

絵を描く人の中には特定の色域以外、使わない人もいるからだ。それだと、特定の色域に関しては色の感覚は鋭くなるけれど、それ以外になると感覚は鈍いままだ。それが、ひどい人になると自分の馴染んでいる色域には理解はあるけれど、それ以外の色域を嫌って、軽蔑したりする。