ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

色彩の自然

色彩は無限の広がりがあります。

私にとってピンクはあまり馴染みがない色なので最近よく使うようにしてるんです。
色彩は考ようとしても理解しがたい分野だ。

色を見ても考えようが無い。 描いていてもそう思う。

計画が出来ない。それは、とりあえず全部一通り描いてしまわないと、配色によって発する印象が見えないから。あるいは気分によって色の見え方が変わるから、かもしれません。
 多くの人は、同じ色でもハッピーのときにみるのと、ウッチー(鬱?)のときに見るのとでは違う色に感じるでしょうから。

主張するものが文字のようにハッキリと見えないからかもしれません。

色彩の体験が少ない人には、

 

自分の知っている色域以外は、毒々しく見えるからかもしれません。
たいていの人は色だけの絵を見ると困惑するようです。 十五年くらい前の私は少なくともそうでした。 最近はトレーニングの甲斐あってか、自然の法則的なものが見えてきたように思います。勘違いかもしれませんが。
 自然は一見すると無法状態のようです。

植物を見てもそのように見えます。あっちにもこっちにも雑草が生い茂る。けれども実際は黄金比のような一定のリズムに乗って発展、成長している。拡大している。

自然の摂理が働いている。

同じようなことが色彩にもいえます。

色彩はどの色と組み合わせても問題ないけれど、美しさを伴うには一定のリズムというか秩序というか法則のようなものを与える必要がある。 一歩進んで更に微妙な変化をつけることによって色彩によっても個性がちゃんと表現できる。
僕が色だけの絵を描く時、九割は火山噴火のごとく生まれ、残りの一割に長い時間がかかる。

それは自然ができる過程を再現しているみたい。火山の噴火は一瞬だけど、そこに人が誕生し憩えるようになるまでに長い時間がかかったように。