ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

理解のかたい作品

マーク・ロスコは「芸術家が自分にしか理解できない作品を作った場合でも、彼は一個人としての自分自身には既に何かを与えているのであり、それをもって既に現実の社会に寄与しているのである。

(私たちが食べるのは、自らの為でもあるが、それはまた社会のためともなる、というのと同様である。)つまり、

 

それぞれの個人が社会の中で自らの振る舞いをより良いものとすることで社会は常に改善されるのである」と。

彼は最近私がよく描いている、シンプルな配色による色彩だけの絵、の元祖だ。
ロスコは一九七〇年に亡くなり、私は同じ年に生まれているので、次の世代といえる。

私はマーク・ロスコに影響されて色彩の絵を描いているわけではない。けれど、色彩の絵を描いているうちに、これじゃ、マーク・ロスコじゃないか、と思うことが時々あるん。
そうだ、自らを元気にする絵を描けば良いんだ、と思う。

それは時空を超えて、見知らぬ誰かを元気にする作品となってゆくだろう。
自分だけの琴線には触れるけれど、他人には理解できない。

そんな作品でもいいんだ。そういうのもどんどん作ろう。自分自身が良いと思えるなら、そんな作品は、いつかどこかで自分と似たような誰かが良いと思ってくれるものだ、と自らを鼓舞しつつ。