ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

僕は次の世代

美術史の上で純粋に色だけの絵を探してみよう。
ターナーが先駆けている、とも言えなくも無いけれど。

色彩のみで、というところまでには至っていない。ターナーの絵は次の時代を予感させる仕事に見える。抽象の時代が近い将来やってくることを予感したのかもしれません。

 はっきりと色彩を意識して、それのみで描かれた作品群が登場するのは二〇世紀になってからです。一九一〇年頃のクプカやカンディンスキーに始まりロスコがいたりして、ポロックやクーニングの抽象表現主義へ続いていきます。

私は一九七〇年生まれですので、抽象表現主義の次の世代にあたります。

 


イッテン先生の著作が日本で販売されたのが一九七一年頃。僕が一歳の時だ。それ以前の日本にはイッテン先生を越える色彩論があったとは思えません。

 私には日本の色彩芸術の美しさは世界的にも稀だと思われる。しかし、それは日本独自の気候風土に由来した感覚があったからこそ成し得たものなのだ、と思います。それは、色彩世界で最も微妙なグレイゾーンを得意とする民族性と慣習と時間、この三つによって練り上げられたものであって、確固とした色彩哲学はなかったと思う。それらは全て海を渡って入ってきました。

多くの日本人の底に流れる基本的精神傾向は「現在は神様が助けてくれる、死んだら極楽往生だ」というものだ。それは神道からはじまり、念仏宗が横車を押して出来たものだ。

超越的存在を心待ちにし、死後に希望を託す、そういう感覚からはまともな思想や哲学は生まれない、と思う。

 日本の地方の末端に居て私が受けた色彩の教育は、色相環を図で見せられた程の貧しいものでした。それは中学生の頃。時間にして二時間くらいのことだったろうか。

色彩に無頓着な人が分からないなりに教えてくれたのだなぁ、と思わせる内容でした。