ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

繊細さ

エミール・ガレは「作品がどんなものであれ、繊細さが作品を弱々しいものにすることはありません」といっている。
けれど繊細に描かれた絵が、時に弱々しく見える場合がある。

それはその絵にまだまだ筆を加える余地があるからかもしれない。そればかりが理由ではなくて、弱々しく見える絵というのは、往々にして迷いつつ描いた絵に多いと思われる。

迷いつつ描かれた筆致は弱々しく繊細にも似た表現に見えるんだ。

迷いつつ描かれた絵は、

 

何が描かれていたとしても(たとえば希望をイメージさせるもようなものを描いたとしても)迷いを表現した絵となる。
描いた対象がそのまま表現されるイメージと見えるのは表面的なことで、それは目標みたいなものだろう。
つまりは、描いているときの気持ちの変化がそのまま絵の表現に反映される。

なにを表現したのか?という答えとなるのだ。
すがすがしい絵にしたいと思えば、すがすがしい心持ちの時に描くのが良い。
孫過庭も「凛ならしむるに風神をもってし」と言っている。

だから繊細さも同じだろうと考える。繊細な感覚が無い人は繊細にしようとしても繊細にならない。
私は繊細であって力強い絵が好きだ。

自分の描いた絵が常にそうあれば良いよな、と思う。でも繊細さが欠けているからなぁ。