私は、だいぶ若い頃、看板屋に勤めて、看板を作っていたことがあります。叔父が看板屋をしているもんですから、その影響が大きいです。
そんなこともあって看板が大好きです。
看板にはお店のロゴタイプが入ることが多いものです。
会社によってはロゴタイプやロゴマークを持っているところもあるし、無いところもあります。
ロゴタイプというのは会社名を少し変形させたりしてオリジナリティを出した文字のあつまりのことをいいます。
ロゴマークというのは、
会社や企業、もちろん個人でもかまいませんが、その象徴としてマークにしたものをいいます。
例えば小学校や中学校、高校、大学などのほとんどに校章というのがあるものです。それはロゴマークといえます。
これらをプロジェクトしていくことを、CIといいます。
私にもロゴマークがあります。
下のは僕のサインです。これは、スペルが左に傾いているでしょう?それで僕は左利きだということ、漢数字の「一」を使って漢字圏の人だということも表現しています。
このサインから出発してデザイン化したものがこれです。
これを以前はサイトの名前にして愛用してました。ロゴマークってやつです。
最近は、こういう漢字バージョンのも使うようになりました。
これは俊という文字を元にデザイン化したんでした。
俊っていう文字は人偏も人を表現してますし、右のつくりも人で出来ているんです。それで人っぽくデザインしてみました。
書の落款にはこれを使っています。
ところで、僕の普段使うサインは、どんな作品を作ってもサインを入れることで統一感を持たせます。
また、名刺などに入れることによって一目で誰のものかを定着させることもできます。そういったことを目的にしています。
ロゴタイプや、マークというのはデザイナーによって考えられ、作られている場合が多いようです。
素晴らしいロゴというのは空気のようなものです。そのように感じさせます。
長年見ていても、その視線に耐えるパワーがあるものです。
分野は違いますが同じ文字ということで「書」というのはその最高峰に位置するものだと思います。
それは書のほうが今のところは時代を越えて絶賛されているものが多いからです。
ロゴもそれだけの歳月を生き残れるものがあるなら素晴らしいな、と思います。
ただ、ロゴは企業や会社が倒産したりすると、それと同時に人の目には触れなくなりますし、消滅してしまうように思います。
私にとっては、ロゴと書は同じ部類のものです。
どちらも、多くの目的があり、その制約の中で最大に美しく見えるように昇華させたものです。
素晴らしいな、と思う書やロゴに出会うと私はちょっと習字したり、あるいは模写してみます。
横においてロゴを見ながら描いてみるんです。そうすると改めてそのロゴが素晴らしいものなのか、そうでないのかがのみこめます。
ロゴタイプについて言葉足らずかもしれません。
ウィキペディアからの抜粋で、もう少し補っておきたいとおもいます。
「ロゴタイプ (logotype) とは、図案化・装飾化された文字・文字列。団体名、商号、商品名、雑誌名、書名などを印刷・表示するのに使われる。ロゴ (logo) と略す。ギリシア語のロゴテュポス に由来し、ロゴ=言葉、タイプ=活字からなり、本来は一単語のための連字活字を意味した。
文字ではないグラフィカルな記号やアイコンは、本来はロゴタイプではない。
しかし企業名などでは、ロゴタイプに記号が付随することが多く、記号を含めて、時には記号のみでロゴタイプと呼ぶこともある。ロゴ=記号、ロゴタイプ=文字のような理解をされることもあるが、本来はロゴにそのような意味はない。
また、ロゴマークという言葉で記号を意味することがあるが、和製英語である。
社名であれば、看板、名刺、封筒、レポート用紙、領収書等の伝票類など、商品名であれば、パッケージなど、雑誌名・書名であれば、それぞれの表紙・背表紙などに印刷され用いられる。
いずれの場合でも、広告にも用いられる。
ロゴタイプを使用する目的は、一般の文字・活字・書体とは異なる、特別なものを用いることにより、その対象物の差別化を図ることにある。
例えば、企業などの組織の場合、コーポレートアイデンティティの一貫として、印象づけのために、ロゴタイプを用いることがある」
ということでした。