ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

ある瞬間にパレットが絵に昇格する

絵描きはどうしてパレットを使うのだろうか。

それは色と色を混ぜ合わせて好みの色にする必要があるからだ。

私の作品にはパレットから出発し作品化したものがある。

ぬり絵の絵

たとえば、これ。みなさんはゴミのように見えるでしょうけどね、こんなのをあと千枚くらい描きたいです。

 


こういうのは、なんとも言えず魅力的に見え、後から同じようにやろうとして出来るような物じゃないですよね。

てきとうっぽいから、同じように出来なんです。

そう考えていくと、そこに十分な作品の存在価値が生まれるんだろう、と思う。

つまりやっていることといえば、色と色を混ぜる行為とその繰り返し。

いい頃合の、経験と思考を伴う仕上げのひと塗り。

最後の仕上げのその行為で、作品の方向と作品自体に宿る生命の輝きが吹き込まれるしれないなぁ。