ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

八重さんは冬に絵を描く

おと年の冬だった。

朝もまだごく早い時刻に、八重は持光寺の講堂裏で、あの山茶花の前にかがんでいた。紬縞(つむぎじま)のくすんだ着物に黒い帯、髪は解いて背へ垂れているし、もちろん白粉も紅も付けてはいない。

ーー講堂の石垣の上に矢立硯と水を入れた貝を置き、紙と筆を持ってかがんだまま花を見ている。

地の上には霜が白く、空気はきびしく凍てて澄み徹り、深い杉の森に囲まれた境内には小鳥の声も聞こえない。

・・・八重は心を放って静かに眺め続ける、やがて気持ちがおちつき、頭が冴えて、すがすがしい一種の香気に似たものが胸に満ちてくる、そのとき初めて八重は筆をとる、すらすらと自在に筆の動くこともあるが、たいていは渋滞しがちで、思う半分もかたちが取れないでしまう。然しそれはそれで悪くなかった。

八重は絵を描こうとするのではない、花の気品をさぐるのが目的であった。

                         (山茶花帖/山本周五郎著)

 

そうだ、絵を描くっていうのは、こいうことなんだよなぁ。

 

この抜粋した文は山本周五郎先生の「雨の山吹」という本のなかの短編でした。

この中の短編はみな、泣けてくる話が多くて、泣いた涙で本がヌレヌレになっちゃいます。