ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

なんでですか?独学

僕は独学で絵を学ぶ。

誰かが間に挟まったものからでなく、できる限り学びたい人の作品および著作から。

偉大な人は必ず、自分に至らぬ後進のために作品や著作を残してくださっているものだ。

それでいつも独学だ。

出来たら直に人から物を教わりたい。

しかし、学びたい時に教わりたい物を教えてくださる人と出会うことがない。

自分は昔から鈍感なのかチャンスをチャンスと気づかない。

チャンスを生かせないアホだ。

 

そういうことも良い人と出会えないことに影響していよう。

あるいは出会いを我知らず拒絶しているのかもしれないな。

たとえ親切に教えてくれる人がいても、教えてくださった事をにわかには信じない性格もあると思う。

これは相手を信頼していない訳でなく、教えてくれたことを大切にしたいと思うから本当かどうか必要に応じて確かめる努力をする。しかしこれまで教えてくれた人の大抵は専門家じゃない自称専門家であることが多く、がっかりしたものだ。

類は類を呼ぶというけれど、その程度の人しか回りに集まってこない程度の自分なんだな、と思う。

それよりはプロフェッショナルな人の仕事をしている姿や、作品そのものを見せていただくのが自分にとっては一番の教育に感じる。ありがたいと思う。

しかし、なかなかそういうことは叶わない。

人付き合いが下手過ぎるせいもあろう。大学に進学しなかったせいもあろう。それで県の図書館に行くことになる。ご本にご教示いただく。
 独学の良いところは必要に応じて自分の速度で気の向くままに縦横無尽に追求できる点にある。

しかし独学は骨が折れる。目指すものを見つけるのは時間がかかる。だからだいぶ遠回りしてる気もする。

本には、骨身を削って心労尽くし伝えんとして成されたものと、売名や勧誘のために書かれたものがある。

売名的な本は読んでも得るものがない。せいぜい本を読みたい気持ちを晴らすぐらいだ。そんな本には用は無い。

先に述べたような本を探して見つけて教えていただくんだ。