ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

この耳って、あの人のだよね

よくね、最近は電車に乗ることが多くなりました。

いや、最近だけ電車に乗ることが多いだけでしょうね。

去年の、2017年の春くらいから始めたアルバイト先に電車で向かうんです。

耳の鉛筆画

電車っていうのは、スゴイですね。人がいっぱいいるんです。

あんな、無防備で人が居て良いんでしょうか?

絵かきの僕は、もう堪らずスケッチブックを取り出すわけで。

 

最近は、よく耳を描きますよね。

耳っていうのは、大事なんです。

何がだいじなのかといいますと、人物画っていうのは、他のどんな部分がちゃんと描かれていたにしても耳とか、指先とか、つま先とかね、末端がちゃんとしてませんと可笑しく見えるものでして。

たいていの人は意識してないかもしれませんが、耳だけ見れば、その特徴で個人を特定できてしまうんです。危ないですね。

スマホとかでも、指紋認証みたいのありますでしょう? 耳でも同じことができる訳なんです。

電車に乗るたび耳を描いていますと、だんだんと、ああ、この耳は前に描いたな、とか分かってきます。

そのうちに描いた耳を見る、それだけで顔が思い浮かぶようになっちゃいます。

「あ、この耳の人はたしか目の下にホクロがある若い娘さんだったな」とかね。

耳は隠して歩きましょう。でも、隠して歩かれると、僕は悲しいです。

ところで日本に人は1億くらい居るんでしょうか?

まぁ、1億いるとしたら、耳のバリエーションは1億ってことになります。

一見すると耳は、誰のでも同じように見えますよね。それなのに1億のバリエーションがあるって、どういうこと?!

それを、はるか遠くを見つめる眼差しで思うとき、個性とはそういうことか、そういうことなのですね、お母さん?

と悟った気になるわけです。