ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

本当かな?

この世で一番繁栄している生き物、それは花でしょう? まったく、花ってのは、なんでこんなにも素晴らしいのだろう。 これを僕は作れない。育てることすらできない。水やりを忘れてしまうから。

花はそれだけで季節を表現している。 花は、たいていどんな花であっても素晴らしい。それでその感動に打ち震えながら画家は花の絵を描く。 描いた花の絵を画家が知らなくても、その花を知っている人には、それがそのまま花の生きている季節の表現だと思う。

表現。 ああ、表現とは一体なんだろう?と最近思う、考える。 絵は視覚言語で何かを表現したものだ。 視覚言語というのは丸とか三角とかのような形や、色などの視覚的なものをさす。

絵とは画家の何かしらを表現したものだと思う。本当かな?それが見えてこない絵があるとすれば、絵としてどうなのかな?
表現とは自分の内面を客観的に見えるようにすることだと思う。 絵を描いているとき、何も考えていなくとも、その絵を描いている画家の人間性が反映され、表現される。本当かな?

 


 絵を描く以上は、表現するということが、どんなことなのかは、自分の中ではっきりさせておきたい。 表現、というのは目的を持ったときに最大の効果があるのだから。

誰のでも絵の展覧会では「これはよく表現されているよね、素晴らしい表現だ」というのを耳にする。

私は思う「何が表現されているというのだろう?何が素晴らしいのだろう?この人はわかっていて言っているのだろうか?」 わかっているのかもしれないし、わかっていないのかもしれない。 絵はしゃべらないし、すべては鑑賞者側のアンテナの感度の良さだけがたよりだ。せめて何のこれがこんな感じで表現されているね、だから素晴らしいね、と言ってほしい。

そうすれば側で聞いている自分も理解できるんだ。
人の顔の表情は、表現といえるだろうか?いえると思う。

顔が表現されたものは万国共通であって普遍性がある。顔の表現を見ることで、その人の見えないものを察知することができる。顔は本人の表現する意識があっても無くても、それを見るこちら側では、それは表現だ、として良いと思う。表現、それは表現と感じる側がつくった言葉、なのかもしれない。
文字は表現だろうか?表現でしょう。 文字は絵の子供のようでもあり、親のようでもある、絵に一番近い存在のようにも思う。