ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

料理という日常の芸術

日ごろ、誰にでも一番身近に感じられる芸術。

それは料理なんだろうな、と思う。
私が料理する感覚は作品をつくるのと同じだ。

絵の具が食材に変わるだけで、やることは絵を描くこととなんら変わりない。そう思うと料理って芸術だよな、と。

近年では芸術の概念が表面的に変化しているように思う。日常を楽しくする行為や活動、考え、つくられた作品が芸術、という風に。
私の考える「芸術」。
それは、日常を、少しだけ非日常にすること。そのための行動や、概念、作品。

 


少しだけ見方、感じ方を変えるだけで当たり前の日常が、実はこんなに楽しくなるんですよ、と。そのための行動や、概念、作品。
当たり前の日常の中にこそ、自分を幸せにすることを見つけることができる。
それを気づかせる役目が芸術家なんだ、と思う。
それを気づかせる作品をつくる、のが芸術家。
それは昔からそうであったし、今も、そしてこれからも変わらないものだと思うんだ。
どんな材料をどのようにつかって目的とするものをつくりあげるのか?
料理は最低限おいしい、という「味」に縛られながらも、材料をどのように使ってもかまわない。限りなく自由だ。
すべてを自分で考え決めてゆく、という点で本質的に料理は絵を描くのと同じ感覚が要求される。
 料理は時間とともに腐敗へ向かう。作られたものに時間が表現される。
以前に何度か食パンのようなパンを作ろうとしたことがあった。
どうしてだかうまい具合に膨らまないし、焼いても硬いものにしか ならなかった。なぜだろう?
二〇一一年の東日本大震災の時に、十日ぐらい食べるものを買うことが出来ない日があって。

自分一人だけのことだから、たいした影響は無かったのだけど、必要に迫られてネットで調べて、ようやく原因がわかった。

パンの生地を捏ねるときには、何度もパンチをくれてやる必要があって、それが欠けていたために、うまい具合にならなかったのでした。 それ以来ちゃんと焼けるようになりました。