こんにちは、シュンです。12月なのにこの暖かさは何なのでしょうね?
さて、欧陽詢の化度寺碑の諭を筆ペンで書いてみようかな。手本にするのは二玄社から発行されている欧陽詢の化度寺碑(けどじひ)・温彦博碑(おんげんはくひ)を使いました。
僕は楷書は得意じゃないんです。得意なのは仮名でした。
楷書はこれまであまり本気で取り組んできませんでした。だって、見るからに大変です。頭がおかしくなりそうじゃないですか?!
まぁ、楷書っていうのは大変ですよ。しんどいです。なんだってこんなのに必死になってるのかわかりませんが、やりたくなるんですよね。
一文字ばかりじゃなくて、もっと沢山書きたいところですが、いまの力では一文字が精一杯。
それでも、書いたのをみると甘いですね。
お手本と並べようかとも思いましたが、意味が無いようで書いたものだけをお見せします。
まずは、鉛筆で何度も書きました、筆順やら全体の形を呑み込んで覚えるつもりでね。
僕は左利きでして、鉛筆の時は左で、筆は右で書きます。左で書くと右脳が必然的に働きます。文字を空間的に感じ取るには左で書かないと理解できません。右脳ってのは自分で考えてる以上に優秀なようです。左で書くときには手元を見る必要が無くて、目は手本の文字だけみて手は紙の上で動かしていればちゃんと覚えてしまうみたいなんですよね。
それで、まぁ、しばらくこんなことをやって覚えたところで筆ペンで書いてみますか。
文字は何でもそうなんですが、最低限見ないでも書けなくてはいけませんよね。
数年前までは、見て同じ風に書けてれば良いじゃないか?ぐらいの認識でした。
ある時、いやそうではないぞ、そんなことではダメだろう。と思い始めたんです。理由はいくつかあります。
文字をちゃんと書こうとするとき自分が知らない文字は頼りない線になります、それがひとつ。
手本を見ながら書くと、手本を見ながら書いてます、と書いた文字が言ってしまいます、それがひとつ。
どうやら、ひとつひとつの文字を書けるように努力していくしか道が無いようだ、と観念した。それがひとつ。
ああ、頑張ったけれど、こんな程度なのだな、自分の現状は。思い知らされました。
これで23回めの諭でした。
そうこうしているうちに、今日も日が暮れて。