ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

何でも記しておきたい

芸術の話っていうのは無始無終だ。

だから僕も、始めと終わりを決めると何にも話せない、しんどくなってくる。ですから、どこからでも適当に読んでください。ランスコイも「芸術においては、始まりもなく、終わりもないのだ」と。
 そう、僕は日ごろ芸術的なことを沈思黙考する。

僕が話すところの芸術とは主に絵画のことになる。主に絵を描いているので絵描きの感覚です。絵画以外でも芸術的なことなら何でも好きである。が、そういった話があったとしても、絵に生かそうと思うから、画家の視点から見たものになるのだと思う。とは言っても、絵描きからの、という非常に狭い範囲から見たことなのです。それをご了解いただきたい。
 ところで、世界中のどんな人の作品であっても、およそ人間が作るものは理解可能なものである、と思う。

 

それをつくる側が何を考えて、何をして、どう思ったのか?を知ることがあれば。それを私に教えてくれたのはカンディンスキーでした。彼の著作が無ければ、彼の作品を表面的にしか理解できなかったと思う。さらにクレーやイッテン先生も同じことを教えてくれました。
わが身に感じる芸術的なことを、今、分かり得ていることを記しておこうと思う。どんな些細なことでも構わないさ。いましがた見えてた風景に霧が立ち込めて見えなくなってしまう前に。時間が経ってしまえば、すべてが、そう何もかも頭から雲散霧消して無くなってしまうのだから。
 私は無名の画家である。ゆえに、なにを言ったところで影響力は無いのかもしれない。けれども人は、ものを書く事によって永続的に考察し、ものごとを探求してきた。 
ああ、僕だってただ瞬間瞬間に考えるだけでは、もう一歩も前に進まないんです。記しておかなくては。