ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

自由を知る

色彩世界は、どもまでも自由だ!!!!!!!

 

というわけで何処にいても自由を感じたい人はぬり絵がおススメです。

色鉛筆でもクレヨンでもマーカーでも、あるいは色のついたものを切ったり張ったりでも出来ますからね。

しかし、自ら秩序を構築できる人にしか自由は許されないようで。

色を塗っていると、常にそれを感じさせられるんです。

 

誰だって本当に自由気ままに色を塗ると支離滅裂にしかならないからなぁ。

どうしてだろうね?

 

僕も色を始めた当初は支離滅裂だったっけ。

 

色を塗るのは思考を越えていく。

考えが及ばない。考える必要は

 

無いんだとも言えますよ。

なにしろ予定というか計画というのが立てられない。

計画が意味をなさないんです。

 

まずは、はじめに一色を塗るんですが、まぁそれは計画できます。

黄色にしようかな?とか。それで二色めを塗った途端に、何故だか、こんなはずじゃなかった感覚になるんです。

そして、次にまた別な色をぬって。

それで、また別な色をとやっていくほどに、この感覚が強まっていくのです。

やがて、自分は何をしてるんだか分からなくなっていく。

 

 

普段の生活でも、そんなことがよくあるもんです。

朝起きて、掃除をしようと始めたけれど、そのうち古い写真なんか見つけたりして。

それで昔を邂逅している間に、誰か訪ねてこられたりして、そんなこんなで日が暮れて。

今でも、寝る前になって自分はいったい何してるんだろう?と思うことしきり。

あぁ、なんだか僕の生活は支離滅裂だ。

 

しかし、それがつまり自由ってことなのか。

それじゃ多少なりとも、生活に秩序がないとマズイのかもしれないぞ?!