墳を書きながら思う(虞世南/孔子廟堂碑)
おはようございます。水たまりの氷を踏み壊すシュンです。
昨日に引き続き虞世南の文字を書いていこうかな。
これは266回目の正直です、いや墳です。世の中古墳がいたるところにありますからね。
まぁね、たった一文字書く間にも、書いた回数分だけ思うことがある。それは、いろいろありますよ、人間だもの。
文字を書くってことは考える、思索するってことと同じかもしれなませんね。
とってもゆっくり書いても書けるかな?とか。
書いてるところを見てなくても同じように書けてるか?
視界の端っこで書いても問題ないか?
手をぐっと伸ばして遠くで文字を書いても、手元で書いても同じようにいけるのか?
俊速で書いて、同じく書けるだろうか、同じくやれるなら、どれくらいの速度まで対応できるのか?
大きく拡大してもおかしくならないか?
右手で書くのと、左手で書くのと、どれくらいの差があるのだろう?
あるいは米粒のように書いても遜色なく見えるように書けるものかな?
不自由な体勢になっても同じように書けるか?
筆であっても、鉛筆で書いたとしても同じイメージを保てるだろうか?
今引いたこの縦画が曲がりは姿勢によるのか?手首や肘の関節のつくりによるものか?
あるいは、単に力の入れ具合によるものなのか?
など、など、たくさん疑問が湧いてくる。
こんな時にちゃんと書けるのか?どうなるのか?ということを日頃から自覚しておかなくちゃ、と思う。
いつ、いかなる時にも即応できるように軍事演習しておきたい。
さぁ、それらをすべてやってみよう。
本日はお日柄も良く、鉛筆で始めました。これは1回目。
形や、その他いろいろ覚える間は、チラチラ横目に手本を見ながらやっていきますよ。
僕は日頃の練習には主にダイソーのらくがきちょうを使うことが多いです。和紙を使う時には作品を書く時だけにしたい。なにせ和紙は高級ですからね。
途中経過はこんな風でした。
それでは今日もお疲れ様でした。