ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

小説の芸術

小説研究十六講という本を読みました。木村毅さんが書いたものです。

芸術について触れられているし、絵にも通じる大切な話なので抜粋しておこう。

 

「芸術家は真理を形而下に具体的な言葉に翻訳し返すのである」

 

「りんごの木が風にゆれて、その果が枝から地上へもげ落ちたーーーこれは一個の事実である。

空間の物体はその距離に逆比例して変化する引力によって互いに牽引し合うというのは一つの真理である。

事実は具体的なもので、

 

したがって形而下的経験の事に所属するが、真理は抽象で形而上論のことに属する。

現実は事実圏内のことで、真実は真理の所属である。

我らが感覚をもって解釈する万有は現実であり、我らが悟性をもって悟る世界は真実である」

 

「科学者のは真理の発見(discovery)であり、哲学者のは真理の了悟(understanding)であり、芸術家のは真理の表現(expression)である」

 

「ハミルトン教授は科学上の熟語を適用して「小説とは蒸留されたる人生である(Fiction is life distilled)」と言っている。

作家の心中において、現実はまず蒸留して真実となり、その真実が今度は冷凝して空想的事実すなわち小説となって現れる。

もう一度言葉を換えてこれを説明すれば、作家は人生の具体的現実を抽象的真実に移し、その上でこの抽象的真実を具体的空想に移す。

この心的経過が遺漏なく遂げられたならば、そこに現れた空想は、空想にしてかつ真実である。なぜならばそれは現実を蒸留した真実が、表現せられているのであるから」

 

「あらゆる芸術には2つの段階がある。第1は材料の選択である。第2はかくして選択し出された材料を調整し按配してある鋳型の中にはめこむことである」

 

そう、非常な労力をもって作ったような鋳型を僕はいくつ持っているのだろうか?

鋳型が必要だ。