ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

ブルース・リーの芸術

絵描きや書家はアスリートであります。

いつ終わるとも知れず日々自己鍛錬し、表現に必要な練習に明け暮れ、表現を追求していく。

おそらく本質的には格闘技も同じかと思います。

ところで中国にブルース・リーって人がいました。

彼の動画って、よくYouTubeで見かけますよね。

そこでたまたま見た動画が芸術につながる話でしたので、ブルース・リーの言葉を動画からテキストにしました。

 

「私が思うに、すべての知識は最終的には自己認識に繋がっていく。

 

格闘技の形で自分を表現する芸術、私はそれを弟子たちに教えている。

何も考えずやることが大事だ。相手に集中する。

余計なことは何も考えるな。それが一番大事だ。

肉体の使い方を学ぶと同時に自己を理解すること。

 

私は特定の流儀は教えない。

もう流儀を信じていないからだ。

戦う時には流儀は関係ない。

戦い方にはいろいろあるからだ。

行きつくところはひとつ。その動きの中でどう自己表現できるかだ。

 

自分を偽らず率直に表現すること、正直に自分を見るのは実に難しいことなんだ。

思い通りに動けるよう鍛錬する必要がある。

条件反射の訓練だ。心技一体というやつさ。

わずかの誤差も許されない。

殴ろうと思ったら絶対に殴る。

鍛錬すれば拳に精神が宿るんだ、でなければ意味がない。

 

パンチを出すのは拳だけじゃない。全エネルギーをそれにつぎ込むんだ、それが武器になる。

達人は緊張せず相手に備える、無念無想の境地で敵を読む。

敵の攻めには身を固め、守る敵には攻める。機が来れば無意識で相手を倒します。

流儀が無ければ人間としてどうあるかが問題だ、どう自己表現するか。

 

本能と抑制というものがある。この二つを調和させる。

本能だけ強すぎるとあまりに非科学的になる。抑制だけが強いと機械的になりがちだ、人間らしさを失う。バランスが大切なんだ、質の問題といえる。

自然と不自然が程よく混ざり合う。

「不自然な自然さ」または「自然な不自然さ」かな。」

 

んだ、んだ、確かにそんな気がする。

僕の場合、絵でも書でもやっている間にいろいろ余計なことを考えがちになる。

ブルース・リーが言うように何も考えずにやっていこう。

自然と不自然がほどよく混ざり合うように表現することを目指そう。