ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

素人が書譜2(書譜/孫過庭)

私は15歳の頃から、書の道に心を留め、鍾繇(しょうよう)・張芝(ちょうし)の書法の偉業をよく理解し味わい、王羲之・王献之が感じさせる風情をくみとり、鋭意専心して24年を経ました。
書法には、遠く及ばないところがあるけれど、研究心が途絶えたことはありません。

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かの懸針垂露(けんしんすいろ)の異や奔雷墜石(ほんらいついせき)の奇、鴻飛獣駭(こうひじゅうがい)の資、鸞舞蛇驚(らんぶだきょう)の態、絶岸頽峯(ぜつがんたいほう)の勢、臨危拠槁(りんききょこう)の形といった、点画や転折のすぐれた姿態や形勢をつぶさに観察してみました。

すると、

 

あるところは積乱雲のように荘重であり、あるものは蝉の羽のごとく軽やかであったり、泉の水が流れ注ぎ込むようなもの、はたまた山の重々しく安定したような点画もあります。また、ほっそりとした新月が空のかなたにかかっているような、さらには天の川につらなる無数の星々のまたたきにも似た筆勢もあります。

これは不思議にも自然の摂理にかなって、すべてが生まれいづるようなものなのです。自分の力で、どうこうしてみても、どうにも成せるものではありません。
まことに知恵や知識、技術のたくみさが共に優れていて、心と体のバランスが調和しつつ、しかも、気ままに、また理由も無く筆を走らす、といったことがない。
織り成す点画は筆鋒のままに従い変化し、一点一画のうちにも、あらゆる用筆の変化があり、書の境地が桁違いといえましょう。

それなのに、ただ無造作に点画を書き連ね、積み重ねてゆくだけで字になるものだ、と言って、かたわらに達人の書跡を置き、そこから少しも習い、学ぶこともせずに、後漢の班超(はんちょう)という人を例えに出して不勉強の言い訳とし、項籍(こうせき)という人を例に出して、悪筆で良し、とする人がいます。
筆にまかせ、墨を塗りたくり、手習いの心得にもくらく、手は揮毫運筆の道理もわからない。
それでいて達人のように不思議ともいえる美しさで書くことを求める、というのは間違ってはいませんか!?

しかし君子が君子たるためには、つとめて人間性を磨かねばならなりません。
揚雄(ようゆう)という人は「詩をつくるというようなことは、小道のように枝葉末節のことであって、立派な男子のすることではない」と言っている。
まして、繊細な筆の毛先に感情を溺れさせ、心を書にとっぷりと浸かる人はどうなのでしょうか。

そもそも、気持ちを沈めて碁を打つようなものでさえ、「座せる隠者」と広く名声を得て、釣り糸を垂れるような者まで、自ら出処進退をわきまえた身振りである。書の功力には、礼楽(れいがく:社会秩序を定める礼と、人心を感化する楽。中国で、古くから儒家によって尊重された。転じて、文化。)を宣揚し、その不思議さは生命の本来あるべき姿にも似ている。それはあたかも、何も無いところから陶芸家が土をこねて器を生み出すがごときものである。それはまた、大地から万物が生まれ出づる様にも比肩されよう。

一風変わって見える表現や、わざと普通と違っていることをして人の注意を引くことを喜ぶような人は、文字の点や画をさまざまに変化させたり、打つ場所をずらしたり、長さを変えたり、といった構成上で書をもてあそび、微細な美しさを極め、妙味に思いを凝(こ)らすような人は、運筆の筆勢の緩急や、抑揚などの移り変わりによる、書の深遠にして奥深い道理を身につけようとする。

著述家は人の言った取るに足らない言葉を借りて物を書き、鑑賞家は人の得た美の精華を自分のものとする。

書とは、まことに学問真理の帰一ところであり、「賢達のわが道と共に社会を善くする」ということである。

心を傾注して鑑賞するのは、いたずらに、そうしているわけではないのだ。

東晋時代の書学者は、互いに書を研究し、その手腕を鍛えた。
王・謝の一族、郗(ち)・庾(ゆ)一門の人々の書は、たとえ神秘的で絶妙とはいえなくとも、各々がその風味を備えていた。