ある日の美術

仙台にいて絵を描いたり書をやりながら、もろもろ美的なことを研究してます。

欧陽詢 化度寺碑

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こんにちは、シュンです。

長年、遠回しに避けてきた楷書に取り組みたいと47歳にして思うようになりました。

それで今日は楷書の天才に教えていただこうと思います。

 

中国の唐の時代に欧陽詢という人がいました。

会ったことはありません。

唐の時代というと、西暦600年から900年頃ですね。 300年も続くというと日本では265年続いた江戸時代が近い感じでしょうか。

 

300年ものあいだ一つの時代が安定して続くと文化も安心しても花ひらけます。文化的なことっていうのは平和あってこそなんだなぁ。日頃、文字を書いている時、平和な環境って大切だな、とつくづく思う。

そうそう、彼の化度寺碑と温彦博碑の臨書を最近やってました。化度寺碑(けどじひ)と温彦博碑(おんげんはくひ)と読みます。

二玄社から出ているもので中国法書選シリーズの30です。中国法書選のシリーズは全部で60冊あります。

これによると、欧陽詢(おうようじゅん)は557年641年とありますので唐の建国前後に生きた人のようです。まったく凄い人がいたもんです。

今の中国は日本の尖閣を占領しようとしたり、チベットを占領したり、自国民をいじめたりしてますね。反日教育を子供の頃から徹底して教えこんでいるらしいです。

 中国では外国の企業は儲けを国外に持ち出せないシステムになっています。

そうした、なにもかも奪って支配していこうとする姿を見ていると、悲しくなります。どうして、こんな風になっちゃったんだろう?

僕が持つ中国のイメージは、パール・バックの「大地」という小説と、書の大家から得たものやジャッキーチェンとかジェット・リーが主演する中国映画などで出来ている。たいした量は無いので甚だ心もとないのですが。僕の中国観は言わば井の中の蛙の視野かもしれません。

パール・バックの大地は1巻から3巻までありますが、とくに1巻は秀逸だと思います。訳した人が何人かいるようで、それによってもイメージが変わるかもしれませんが。

大地という小説はある農民が大地から富を生み出し、それに溺れて滅んでいくという話です。ここに描かれる中国が、この国の本質かもしれないな、と思いました。

一方で欧陽詢王羲之の文字に触れるとき、中国って国はすごいのだなぁ、と感じます。

 

化度寺碑は彼が75歳に書いたものだそうです。九成宮醴泉銘が76歳なので、ほとんど同じ時期みたいです。文字から受ける印象も似ています。

欧陽詢の文字はとても厳しくて、厳しくて、涙がでそうになります。

こんなになるまで、どれだけの鍛錬がいるのだろう?

臨書してると、そう思えてきて、遠く及ばないのが身にしみて涙が出そうになる。

これが、敦煌本といわれる化度寺碑です。

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一見すると文字の一つひとつが傾いていて統制が取れてない、まとまってない感じがしますよね。それは多分、拓本をした後の技術が拙いせいかと思います。

文字を書き慣れてる人は普通にピチっと真っ直ぐ書けるものですからね、欧陽詢のせいではないと思うんです。

そう考えていくと現物を見たことはありませんが、きっと碑は一体感をもって表現されてるだろうと推察されます。

いつか、本物を見てみたいものです。